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 投稿者:昭和62年度無期限自粛中のOB  投稿日:2020年 9月20日(日)00時57分13秒 flh3-220-144-108-13.tky.mesh.ad.jp
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  公式のあらゆる松高應援團のページが更新されない中、この書き込みはどれだけの方々の目に触れることになるのだろうか。

私は、「昭和62年度卒無期限自粛中のOB」鈴木健です。
私は明治大学應援團のOBでもあります。
明治大学應援團は、2007年の不祥事によりリーダー部は翌2008年廃部になりました。
不祥事の責任の一端はOBである私にもあり、無期限自粛とし、直接現役との接触は距離を置いてきました。
松高應援團のOBとして、松高應援團及びOB会が明大應援團のような誤った道を歩まないよう、
批判覚悟で一OBとして今思うことを綴ります。
現役もOBも、一人一人が今一度原点回帰し、よく考えて戴きたく存じます。

以下、一OBによる私見であり、これが答えではないし、正解とは限りません。

複数のOBから現役指導を依頼されましたが、
私が明大應援團OBである以上、良い影響も悪い影響も与えることは自分自身理解しています。
私が指導をすれば、現役にとっては私の理想とする應援團像の押しつけになってしまう可能性が高いと存じます。
私が口を開けば、それが答えのような風潮(鶴の一声)は望みません。
ただ、現状を打破する起爆剤の一つになれば、と存じます。

現在、現役は3年生が引退し、2年生團長ただ一人、1年生は不在です。
コロナ禍、いろいろ制限があるようで、思うような活動が出来ないようです。

我が松高應援團は、かつて10年間の休部後、
浦高から赴任した井上浩恩師の声かけに応じた齋藤雅男先輩をはじめとする有志の先輩方によって應援團は復活を遂げました。
詳しい経緯は実は知りません。
何もないところから生まれ、いろいろな変遷を経て、ここまで続いてきました。
今や校内に留まらず、東松山市や埼玉県の催しにも活動の場を広げています。

現状に様々な意見があることは承知している。
我々の目指すところに完成形は存在しないのだ。
常により良い応援を追及するのだ。
應援團とは何ぞや、自問自答しながら、皆今の生活しているのではなかろうか。
應援團は頼まれてやるものじゃない。
でも應援團に入る動機なんて様々で、不純であってもいい。
それは、入團して3年間を通して培うものだ。(それって・・・)

今、一人の現役の團長へ
今、君は應援團が復活して以降、初めての苦難に直面している。
この苦難は君の責任ではない、君だけの責任ではないのだが、
君の責任においてこの苦難を乗り越えなければならない。
もしやろうとしていることがあるなら、それを思いっきり一生懸命やればいい。
もし、悩んでいるなら、悩まないで考えよう。
考えても埒が明かないなら、その時は遠慮なく相談しよう。
学校のことなら先生に、應援團のことならOBに。

コロナ禍、應援團に対しどのような規制をされているのか(大声を出すなとか)わからないので、一案を申し上げる。
私は團旗が屋上で翻っているのを見て、それに魅了され自ら應援團に入團した。
(一部のOBには既知の事実ですが、実はもう一つ不純な動機もあるのですが・・・それはさておき)
もし、團旗を揚げることが学校から禁止されていないのであれば(禁止されているとしたら、何故か意味不明)、
登下校時、校門(松高の敷地内)にて團旗を揚げたら如何でしょうか。
それは新入部員の勧誘の意味もあるが、松高生の士気高揚の意味もある。
一人じゃ揚げられないかな?
もしそう考えるのなら、君は頭がカタイ!
團旗は「命」だから粗末に扱ってはいけない、大切に扱わなければならないが、
粗末に扱わなければいい、大切に扱えばいい、という事である。
(そもそも何故團旗が「命」なのか、「命」と言われるのか、理解しているだろうか)
一人で揚げる方法を考えればいい。
ゴザや新聞紙を敷いて團旗を組んで、離した二つの折り畳み椅子に座布団を敷いてそこへ橋渡しするように置いて、
團旗礼をしたスタンスから團旗を揚げるのだ。
團旗を降下する(降ろす)時には、はためいていないのであれば、椅子に向かってそのまま降下。
はためいているのであれば、ポール自体に團旗を巻き付けるように自身が何度かその場で回転し、
ある程度巻きついたところで、椅子に向かって降下。
実際にやったことはないので、成功するかはわかりませんが、失敗したら頭を丸めればいい。(その必要もないと思うが)
人員がいなければ、いないなりのことをすればいい。いれば、いるなりのことをすればいい。
應援團にはレギュラーもなければ補欠もない。全員がレギュラーであり、定員はない。
松高應援團は、運動部に所属しているが、実は運動部でもなければ文化部でもない、と思っている。
賞もなければ優劣もない。

今、一番大事なこと
それは應援團の存続だろうか。新入部員の確保だろうか。
コロナ禍意気消沈した松高の士気を如何に高めるか。
それを考えて行動するのが應援團だ。
それが出来れば、存続することも出来るのではなかろうか。
今出来ることを一生懸命やる。今出来ないことは、出来るように一生懸命やる。
應援團は、諦めてはならない。

OB会とは
引退したら有無を言わさず自動的に入る組織
現役を指導する立場ではない。
他の部と違い、監督やコーチをおく組織ではない。
OB会会員同士の友好を高め合い、卒業しても更に愛校心を深める組織
組織故に一つになろうとしても、各々考え方があり、どれも間違いではないし、正解でもない。正解はない。
現役に対してはいわゆる相談役であり、積極的に影響を与える存在であってはならない。
高校生の力ではどうにもならない事象(例えば金銭的な問題、対外トラブル等)においてサポートする存在である。

そして、OB会には『現役が松高生として、人間として、間違った道を歩まないよう見守る責任がある。』

現役主義が基本であり、現役を困らせたり、惑わせたりすることがあってはならない。
一時の感情や思い付きで物事を判断したり現役を指導することは、厳に慎むべきである。
現役を戸惑わせ、現役の為にならない。
多くのいらないしがらみや束縛から現役を解き放たなければ、應援團に将来はない。
本当に残さなければならない良き「伝統」とは、目に見えないところにある。
現役が望む力添えをする存在でなければならない。
現役あってのOB会
OBが現役の前に立って先行したり、前に立ちはだかったりしてはならない。
存続するも消滅するも現役次第
現役がどうしたいのかが、第一である
何をやろうと決めても、最終的に実行していくのは、現役なのだから。
一部のOBは「それはOBとして無責任」「OBは何もしてくれない」というかもしれない。
その通り、OBは無責任だし、自らは何もしてくれない。
毎日現役と接し指導することは不可能だし、それこそ無責任な指導は出来ない。
頼まれれば何でも協力するし、助言もする。
OBという存在は、それで充分ではないか。
私が現役の時、OBとはそんな存在だったし、OBに何かしてもらおう(手伝ってもらおう)と思ったことは一度もない。
練習の終わった後や、野球応援の終わった後、OBから一言二言感想を頂いたが、為になる話もあれば、為にならない話もある。
助言は求めることがあっても、それを自分達で解釈し、最終的には自分達で判断し行動する。当たり前のことである。
自分達が現役時代に成し得なかったことを現役に託すことは構わないが、それが押し付けになってはならない。
OBは、自分の理想とする應援團を現役に押し付けてはならない。
OBは皆、各々の現役時代が最高だと思っている。
それは、各々が自分の青春をかけその時代に自分の全てをかけて一生懸命だったからだ。
だから、自分の理想、自分の時代が最高だと思っている。
それは構わないのだが、同じものを現役に求めてはならない。
何故ならそれは最高ではないからだ。
その時代時代に各々が最善を尽くした。それだけであり、それが一番大事である。
つまり最善を尽くすこと。信じたことを一生懸命やること。
我々には最高もなければ最低もない。勝敗もなければ、賞もない、優劣はないのだ。
それは、松高だけではない、全ての應援團がそうだ。
誰もが自分達の應援團が「日本一」だと思っている。
それが應援團だ。そうでなければ應援團ではない。
我々にとって、比較することは全く意味をなさない。
自身の心の問題である。

兼部には、反対しない。
兼部してでもやりたい者がいれば、やればいいし、受け入れればいい。
しかし、存続の為に他の部に兼部を依頼するのは、違うと思う。
應援團が存続の為に他の部にお願いするという事は、それは既に應援團は存在意義を失ったことを意味する。
應援團が欠員が出たから他の部に兼部を頼む、他の部にしてみれば迷惑千万、應援團らしからぬ行動だ。
助ける存在が助けられる存在になってしまっては、本末転倒であろう。
つまり應援團は必要ではないという事だ。
もともと應援團は必要不可欠な存在ではないのだから。
必要性があれば必然と生まれてくるであろうし、なければ自然消滅していくであろう。
OBの力で無理やり存続させても、それこそ無理がある。
今、松高に應援團が必要であれば、OBが動かなくても存続するであろうし、
必要でなければ、消滅するのみである。
諦めろというのではない。今更OBがジタバタしても始まらない。
現役がやることをやれば、必然的に結果は出る。
それが存続であろうが、消滅であろうが、我々OBはそれを受け入れるしかないのだ。
復活も存続も消滅も現役次第。
現役が一生懸命やった結果であれば、誰も責めることは出来ない。
問題は、最善を尽くしたのか、一生懸命やったかどうかだ。

現役も、OBも、今我々は全てにおいて、最善を尽くしているのか、一生懸命やっているのか。
 
 
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